日本の教育は、果たして如何か? [教育]
興味深い記事がありましたので、紹介します。
最近は、インドの教育を褒めたたえる論調が幅を利かせているいるが、どうも色々と問題ありそうです。教育が如何にあるべきかの正解は果たしてあるのでしょうか?
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzp000009012007
昨年12月、インドのEducationalInstituteとIT大手のウィプロ・テクノロジーズが共同で実施した学力調査結果が発表された。インドの5大都市(デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、バンガロール)の有名私立校に在学する4年生、6年生、8年生(日本の小4、小6、中2に相当)の3万2000人を対象に、英語、数学、科学の3科目における学力調査を行った。その結果が衝撃的である。
抜粋すると
・インドの生徒は世界43カ国の同学年の平均を大きく下回った
・丸暗記で答えられる問題は正答率が高いが、理解力や判断力を求める問題では極端に低い
・学習項目を実生活に適用する能力が著しく低い
・語学科目は意思疎通の手段としてではなく試験用の科目としてしか学習されていない
等々である。
要因としては以下のように書かれている。
・非現実的な量のシラバスをカバーしている
・10年生の時の統一試験のスコアにばかり重点を置き、子供の基礎力が養われていない
・教師の教え方にも問題がある。板書と一方的なしゃべりばかりのクラスになりがちである
インド人は比較的暗記に強いが、これは勉学の根本であり、もちろん重要な役割を担っている。この優れた能力を活かし切れていないのは、学校で教え込まれる膨大なシラバスのせいである。
また、子供は自らの知性を使わず、思考や分析の能力をオフにしている。今後の教育では、事実の詰め込みから、それを技術につなげ、実生活での様々な需要に対応できる柔軟な能力を育てるような指導が必要である。統一試験も、機械的な質問ばかりではなく、より理解力を求めるものに変え、採点方法も厳しくしていくべきである、とある。
今までインドの教育レベルの高さを信じていた私にはこのレポートは衝撃的であった。3歳で2ケタの足し算と英語を学び、小学生でもインターネットを駆使して宿題をする姿を目の当たりにしていた。
小学校には家庭科、道徳、体育とか音楽も必修科目としてはない。全て受験用の詰め込み教育が徹底されている。6歳の授業で「イミグレーションのシステムについて」などを教えている。インドの友人たちにこの調査結果について聞いてみても、やはりシラバスの問題だと非常に危機感を感じているようだ。
しかしこのレポートとIT業界の現状の姿が非常に一致して見えてきた。「これほど高いレベルの教育を受けてきて、彼らは何故カスタマーの簡単な要求さえ理解できないのか」といつも不思議であったが、やはり根底の教育に問題があるようだ。繰り返し繰り返し記憶させるのは基礎能力の向上には繋がる。マニュアルを整備して憶えさせ、それに従ってソフトウェア開発とかBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)を遂行するのには向いている。しかし、そればかりでは理解力、判断力を必要とする世界には非常に弱いようだ。
自国文化に誇りを持つ“過ち” [教育]
またまた宋さんの文章の紹介です。
こういうことを書いて説得力があるのは宋さんならではというところでしょうか?
勉強になります。誇りと驕り、肝に銘じておくべきですね。
自国文化に誇りを持つ“過ち”
2006年11月22日 水曜日 宋 文洲
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061030/112702/?P=1
ー 抜粋 ー
孔子は尊敬すべきだが、誇りに思う資格はない
僕は山東省の出身で孔子と同じ故郷を持ちます。言われてみれば少しうれしいですが、自分にとって、孔子は学びと尊敬の対象に過ぎません。誇りに思う資格は、僕にはないと考えています。そもそも僕の先祖がもともと山東省の人間ではなく、遠いところから山東省に移住してきただけでした。
生まれた土地の文化の良いところを吸収し、悪いところを取り除くような努力もしない人には、その土地の文化を誇りに思ってほしくないものです。周知の通り、冷戦後、世界中では過激な原理主義者が急速に増えました。今日のいわゆる「テロとの戦争」の主役を務めているのは、原理主義者です。原理主義者は何も宗教や主義に限るのではなく、自国の文化と歴史を過剰に評価する人々も「文化原理主義者」と言えるのです。
誇りと驕り
よく「独自文化」を誇りに思うと言いますが、純粋な「独自文化」はそもそも本当に存在するものでしょうか。外の文化の影響を受け、外の文化へ影響を与え、その交流を通じて脈々と繋がっていくのが文化です。滅びていく文化は、大体この繋がりと交流を断ち切った文化であると言えます。
自国の文化を背景にほかの文化を見下すのは、フェアな態度ではありません。相手の文化を認めてこそ自分の文化の特色を認識できるものなのに、相手の存在を無視するのは内面では自分に自信が持てないからだと思います。
「誇り」とは聞こえがいいのですが、一歩間違うと自分以外を見下すこと、驕りになっててしまうことを我々は留意すべきです。過剰な「誇り」は、必ずや報いが来ることを歴史が教えています。
トリュフ1900万円」報道の品格 [情報、ビジネス]
下記は、日経ビジネスON-Lineの「ニュースを切る」というコラムからの転載です。
日本の報道は、NHKも含め、表層的かつ興味本位のレベルが低いということを示す好例です。
トリュフ1900万円」報道の品格
なぜか日本では報じられなかった巨額落札の最終目的
2006年11月21日 火曜日 北村 豊
香港の実業家が、約1900万円もの高値でトリュフを落札──。
先週、こんなニュースが流れた。このニュースを見聞きした日本人の中には、羨望のまなざしを投げかけながらも、「中国の美食家がカネにものを言わせて贅の限りを尽くしているのか。なんて品がないんだ」と感じた人が少なくないのではないだろうか。だが、実態はちょっと違う。
日本の庶民にはチョコレートの方が馴染み深い…
本題に入る前に復習しておくと、11月14日付のNHKニュースは「高級食材として有名なトリュフのオークションが、11月12日に名産地として世界的に知られるイタリアのピエモンテ州で開かれ、3つ合わせた重さが1.5キログラムもあるトリュフが、香港の実業家により12万5000ユーロ、日本円にしてなんと、およそ1900万円で落札された」と報じた。
また、翌15日の時事通信は、巨大なトリュフの写真付きで「香港で14日、報道陣に披露されたのは1.5キログラムのアルバ産の白トリュフ。トリュフの中でも最高級といわれるこの逸品は、ある香港人が史上最高値の12万5000ユーロ(約1900万円)で落札した」という記事を配信している。
復習ついでに触れておくと、トリュフとはキャビア、フォアグラと並ぶ世界3大珍味の1つ。これらは、いずれも養殖や人工栽培によって増産が図られているが、天然物の希少性で考えると最も価値が高いのはトリュフである。
日本名では「西洋松露」、セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属のキノコの総称であり、フランス語でTruffe、英語ではTruffle。我々庶民にとっては、トリュフの形状を模して作られた同名のチョコレート菓子の方が馴染み深い。
最近は日本でも発見されて話題になっている。珍味中の珍味と言われているものは、「黒いダイヤモンド」と呼ばれるフランス産の黒トリュフ、「白い黄金」と呼ばれるイタリア産の白トリュフである。
巨額落札したのは実業家ゴードン・ウー氏
さて、本題である。1900万円で落札した香港人とは誰なのか。
それは、複合企業であるホープウェル・ホールディング(合和実業有限公司)の胡應湘(ゴードン・ウー)会長とその妻の郭秀萍である。
ホープウェルはゴードン・ウー氏が1代で築き上げた企業グループで、不動産開発、発電所や高速道路への投資、ホテル経営が事業の主体。中国国内でのビジネスに主眼を置いており、日本企業との関係も深い。ゴードン・ウー氏は、中国人民政治協商会議全国委員会香港地区委員でもあり、香港が英領だった時代に英国政府から爵士(ナイト)の称号を授与されている人物である。
日本でほとんど報道されなかったのは、その目的である。それは大金持ちの個人的で、驕奢な道楽などではなく(そういう面もあるかもしれないが)、慈善事業の一環だったのである。
香港の名門ホテルである「リッツカールトン」(麗嘉酒店)がゴードン・ウー氏の代理としてオークションに参加し、落札した白トリュフは香港に運ばれ、リッツカールトンに展示。その後、同ホテルのイタリアンレストランで調理されてチャリティー・ディナーに供されたのである。ゴードン・ウー氏の親しい友人など数十人が招待されたという。
チャリティー・ディナーの収益金を慈善団体に寄付
この慈善晩餐会で集められた収益金は、香港の慈善団体「母親の選択」に寄付されることになっている。予期せぬ妊娠をした女性や特殊な境遇の児童を支援している組織である。
英国人フージワーフによる「2006年中国慈善企業ランキング」では、ホープウェルは献金額2000万元(約3億円)で第37位にランクされている。ゴードン・ウー氏は、企業としてだけでなく、個人としても積極的に慈善事業に献金を行っているようだ。ちなみに、日本企業ではトヨタ自動車が献金額2100万元(約3億1500万円)で第35位につけている。
今回は第8回国際白トリュフオークションだが、昨年11月に開催された第7回でも香港人が1.2キログラムの白トリュフを9万5000ユーロ(約1300万円)で落札していた。香港の実業家で慈善家としても有名だった何東(1862〜1956年)の孫娘で、香港社交界の著名人である何美雲である。やはり、リッツカールトンでの慈善晩餐会で食されている。
大金持ちだからこそトリュフに1000万円単位のお金を払おうという気にもなるわけだが、「物好きな金持ちが、食道楽で一時の美味を味わうために有り余る金を浪費している」というのではない。ここの部分が、日本での報道からは抜け落ちていて、単なる興味本位で扱われていたように思う。香港の現地新聞では詳細が報道されている。
贅の限りを尽くしているのは、むしろ日本人の方
天下泰平の繁栄に酔い、贅の限りを尽くしているのは、むしろ平均的な日本人の方であろう。「格差社会」うんぬんをしかめっ面をしながら論じる一方で、世界のブランド品売り上げの40%を占め、庶民が「ボジョレー・ヌーボ」に熱狂する奇妙な国、日本──。トリュフの値段ばかりに関心が集まり、慈善事業の話がばっさりと抜け落ちてしまうのは当然なのかもしれない。
だが、中国の慈善家の行いと日本での報道との間のギャップはあまりにも大きい。どうも、そういうことが“一事が万事”になっているような気がする。日本のメディアの品格が問われてしかるべきである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061120/114065/
もっと直感を信じよう! [ライフスタイル]
日頃の生活で、どんどんと感覚が鈍くなっていくような気がしませんか?
ちょっとした変化を見逃してはいませんか?家族のことについても、飼っているペットについても。注意して、ちゃんと観る、だけでは駄目なような気がするときがあると思います。AだからBという考え方やものの見方では見逃してしまうようなものをちゃんと感じることも大切かと。勿論、深く考えることも大切なんですが。
生き物としての力を大切にしたいと思います。
下記の本に興味を持ちました。
Blink . The Power of Thinking Without Thinking (Perfect)
Malcolm Gladwell (著)
商品の説明Book Description
『Blink』は、第一印象の最初の2秒間——瞬間的な理解を得るための決定的な一瞥——の重要性を説く本だ。ベストセラー『The Tipping Point』(邦題『ティッピング・ポイント——いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』)の著者グラッドウェルは、本書『Blink』のなかで、研究成果を見事な物語に変換する才能を駆使し、直感的な判断と読心術の素晴しさを力説している。結婚、心臓発作のトリアージ、速攻のデート、ゴルフコースでの呼吸困難、車販売、軍隊の機動作戦などを例に論拠を固めながら、小さなことをよく考え、薄切りにした行動の意味に意識を集中せよと読者を説き伏せていく。大切なのは、適応力のある無意識——年中無休の精神の従者——に頼ること。その無意識こそが、危険を警告し、他人の心を読み、新しいアイディアに反応するための直感的で高度な情報を提供してくれるのだ。
同時に、グラッドウェルは結論にとびつくなという警告も発している。販売員が我々の第一印象を操作することもあるし、強い興奮を覚える瞬間が心の目をくらませ、誤った手がかりに集中したすえに、ウォーレン・ハーディング効果(すなわち、ハンサムだが無力な大統領に投票してしまう行為)に対して無防備になってしまうこともある。直感のダークサイドを暴く刺激的な章では、ブロンクスで起きた白人警官によるアフリカ系移民アマドゥ・ディアロの悲劇的な射殺事件を取り上げ、安易な認知という過ちに光をあてている。さらに、自閉症や、顔の表情を読む方法、心臓機能の上昇に関する研究成果を示し、いちかばちかの判断の質を高めるトレーニングを薦めている。刺激的ですばらしい本書にこれ以上望むものといえば、「Blink Camp」(ひらめき合宿)とはどんなものかというグラッドウェルの見解を、もう少し厚切りに見せてほしかったということくらいだ。(Amazon.com バーバラ・マッコフ)

Blink . The Power of Thinking Without Thinking
- 作者: Malcolm Gladwell
- 出版社/メーカー: Hachette Book Group USA
- 発売日: 2006/01
- メディア: Perfect
「世界史」など高校用教科書3科目をオーディオブック配信 [教育]
http://www.nikkeibp.co.jp/news/net06q4/518197/
こういう学び方もあるのかなあ?
オーディオブックが急速に普及しつつあるこの傾向に注目しています。
でも、読書しているときに心の中に響く”声”はどこへ行ってしまうのだろう。
読書って、頭の中での再構成、追体験、リメイクするプロセスなのでは?
どんどんイマジネーションが塗り潰されていくようで、、、。
任天堂DSで脳を鍛えないといけないことが寂しい、、、。
でも、吉川英治の「宮本武蔵」をNHKの深夜ラジオで朗読していました。橋爪功さんの朗読は、かえってイメージを膨らませてくれてそれはそれで良かった。それをなぞるように大河ドラマ化された「武蔵MUSASHI」は、市川海老蔵、米倉涼子がイメージをぶち壊して失敗(彼らの不倫もそれを加速)。これで受信料は取れないでしょう。
ジャニーズ事務所がやりたい放題の新撰組も幻滅以外の何も生み出さなかった。
人は『いじめの時間』で賢くなっていく [教育]
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060725/106836/?P=2
人間って弱いですねえ。
生き物は常に勝つか負けるか(誰かに対して優位な立場に立とうとする)なんですねえ。ふと気がつくと、いじめる側に立っている。いじめられる立場には凄く敏感に反応するくせに。
うちの猫、マリーは次男(小四)を自分の配下と思っているらしく、長男が次男とじゃれて取っ組み合いをやっていると、加勢して、次男を守るべく、長男に攻撃を加えるんです。そのくせ次男がマリーをダッコしようとすると猛烈に攻撃して、「気安く触らないで!」と言わんばかりなんです。
野心があれば夢はかなう [娯楽]
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061110/113467/
この歌手を聴いたことがないのですが、こういうオペラ歌手もいることにちょっとびっくりしています。
(彼が出世したきっかけを作ったパバロッティもセールスマン上がりであったことも何かの縁でしょうか?)
何でも盲目的に我慢したり、耐えたりしても大輪が咲くとは限らない。やはり冷静な判断、決断というのは何をおいても大切かと。
先生と生徒、師匠と弟子。上下関係の中にあって信じられる自分を持ち続けつつ、意固地にならず、進化を遂げる。どうなんでしょうね、こういうの?
ま、でも、やはり最後の最後は自分を信じるしかないんだけどね。
恐ろしい光景 [教育]
今日、東工大の文化イベントの一つであるコンサートに行きました。
出演されたのがたまたま私と次男のヴァイオリンの先生だったからです。
19時開演だったので、さすがにタッチの差で間に合わず、演奏がはじまっていたので、コンサートホールのドアの外で聴いていました(1曲目が終われば入場できる)。
すると、三歳くらいの男の子を連れたお母さんが、怒りながら出て来ました。
それでロビーのベンチでいきなり自分の男の子の頬をぶって「なんでオトナシくできないの?」と凄い剣幕で叱りつける始末。その子はといえば、泣き叫びながら「ダッコしてー」を繰り返すばかり。
私は、よっぽどその見ず知らずの母親を怒鳴りつけようかと思いました。これは虐待です。このコンサートに来たのは、親の都合です。それに付き合わされている子供の身にもなれ、と言いたかった。
結局、母親は、その子を振り向きもせずに、会場を後にしました。
その子は泣きながら母親の背中を追って出て行きました。
こういう母親が素晴らしい演奏を聴く資格はあるでしょうか?
芸術を楽しむ心の準備が出来ていない人はコンサートに来るべきではないんです。
今回は280名しか入れない小さな会場でのイベントで、入場無料だったのです。
だから母親もこういう機会に生演奏に触れたかったのでしょう。
つくづく、日本の文化の未成熟度を痛感しました。
(欧州では、この手のコンサートには子供は入れません。無料か有料かではなく、聞く側にもっとマナーを家族愛を大切にしていただきたい)
いじめと「頑張る」ということ [教育]
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061031/112784/?P=1
いじめが自殺につながる日本の「空気」
かつて国が主導するいじめを受けた人間の持論
2006年11月2日 木曜日
宋 文洲
この文章に強く共感しました。あまりに「頑張れ」「頑張ろう」に頼りすぎていたと思います。大人も頑張りすぎて、自殺するケースもあるようですし。年齢を問わず、頑張り過ぎることを考え直す必要があるかもしれませんね。努力は必要ですが、楽しくないことを続けるのは、やはり良くないと思います。
多少、キツくても頑張れることって楽しいことじゃないと駄目ですよね。
良い意味で学校生活を、家庭生活を楽しいものに出来るといいんですが。
学習発表会と韓流ブーム [教育]
昨日、次男の小学校で学習発表会がありました。
カメラ斑の私としては、寝不足だろうが何だろうが、行かない訳にはいかず、行ってまいりました。
そこで、ひとつ気に入らなかったのは、ある学年の出し物でした。
韓国の民話をベースにした、劇と歌の出し物です。「三年峠」という作品です。(きっとご存知の方も多いのでは?)
ただ、何故、この出し物を公立の小学校の劇として選ぶのか?全く理解出来ません。劇中、歌われるアリランの歌についても気になります。
アリラン(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
アリラン
各種表記
ハングル:아리랑
片仮名: (現地語読み仮名):
アリラン
ラテン文字転写:Arirang
アリラン(朝鮮語:아리랑)は、キキョウを掘る娘を歌ったトラジとともに、朝鮮民謡として朝鮮半島内外で最も有名なものの一つ。明るいメロディーのトラジと哀調を帯びたアリランは朝鮮民謡の代表作と言える。そのメロディーと特に一番の歌詞は民族感情のひとつであるハン(한;恨)の感情を表すともされる。
歌詞に歌われているアリラン峠は伝説上のもので、朝鮮半島各地にある同名の峠はこの歌にちなみ、後から地名としてつけられたものと考えられる。アリランという単語の語源は諸説あるが、決定的な説はない。この歌は元来咸鏡道地方の農民歌であったが、19世紀頃から全土に広まったものと考えられる。珍島アリランや密陽アリラン等、様々なバージョンがある。よく知られているものは三拍子が主であるが、中には四拍子のバージョンや3拍‐2拍の変拍子風のもの、日本の追分のように拍子が明確でないものもある。
韓国などで、ときには4拍子にアレンジされてサッカーの応援歌になったり、さまざまな所で歌われている。オリンピックやアジア大会などの国際ゲームで南北合同行進のときなどに流れることもある。
なお、アリランは本来3番までだが、朝鮮民主主義人民共和国のアリランには4番があり、金日成や金正日をたたえる内容となっている。
このように、韓国の人たちに良くも悪くも深く根付いた歌なのですが、何故、それを日本の小学校で習い、歌わなくてはならないのでしょうか?
そもそも、日本と韓国の間の歴史をきちんと教えてもいないうちに、他国の精神文化の根源をなすようなものを意味もなく教え込むという必要性はあるのでしょうか?
我々は、もっと日本のことをキチンと学ばぶ機会を子供たちに与えるべきだと思います。子供たちに日本の文化を正しく伝え、後世のために残さなくてはなりません。そういう努力を学校も、文科省も、各家庭でも、ちゃんとやるべきではないのでしょうか?
韓流ブームにより、日本女性(特に中年以上のご婦人方のあいだで)の対韓感情やイメージは大幅に塗り替えられたにもかかわらず、韓国での対日政策は真逆で、日本文化を自国の文化から抹消しようとしています(法令化されています)。
一方、格安航空チケットの登場で、美味しい韓国料理が手軽な金額で味わえ、かつ、垢擦りエステ、マッサージも格安で、という廉価なサービス供給者としての韓国の位置づけというのも、決して相手をリスペクトした対等のお付き合いの姿勢ではないように思えます。
世界史を省略した受験体制を敷く進学校(高校)のことが問題になっていますが、その根本の問題は文科省であり、学習指導要領と公立高校、大学の受験システムです。今更、履修していない受験生を不安にさせるような騒ぎ方は全くの責任逃れ、トカゲの尻尾切り的な役所体質の現れではないでしょうか?
(余談ですが、ちなみに初期の共通一次は社会、理科とも二科目だったので、世界史の需要は高かった)
自国の歴史、文化を正しく学ばせるためには、他国との関わりを正しく理解する必要があります。世界史と日本史が統一された客観的な視点で学ばないと意味がないのでは?(日本の文化は、大陸からの影響を深く受けて形成されてきましたし、大陸から気化した多くの人により、日本の歴史が作られて来たわけで、そういう意味では、米国の成り立ちにも共通する点が多いのです。実は、日本も複合民族国家でもあるわけです。雅楽のルーツを知れば、結構、愕然とする人も多いでしょう。)
学校で軽薄な文化教育をもう一度、よく考え直すべきだと思います。
(何度も書いていますが、教師の質的転換が求められているのだと思います。(教育システムそのものの質的転換を意味しますが)








